自己紹介2

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はじめまして。おはようございます。こんにちは。こんばんは。私は高橋俊夫と申します。現在は千葉県鎌ケ谷市に住んでおり、2025年秋以降の転職を目指して、WEBデザイナー養成学校に通っています。

趣味

献血

命をつなぐボランティア活動。定期的に参加しています。

ラジオ視聴

深夜ラジオの番組が特に好きです。

昭和アイドル

懐かしの昭和のメロディーでリフレッシュ!

お笑い

漫才やコントで日々笑顔に。

スポーツ

野球

小学校2年から6年生まで。

バドミントン

中学から25歳くらいまで真剣にやりました。

ヨット

勧誘にあい、軽い気持ちで入りました。が、大変でした。

テニス

40歳でベテランの友人に誘われました。

献血

16歳からのスタート

初めて献血をしたのは16歳。その時から命をつなぐ活動を続けています。

カウント方法の変更

30歳頃にカウント方法が変わり、以前の記録がリセットされてしまいました。でも献血の想いはずっと変わりません。

そして100回

現行のカウント方法に変わってから、2025年5月に100回を達成。こんな身体に産んでくれた両親に感謝。

ラジオの視聴

てるてるワイド

伊藤つかさの「一人にしないで」がラジオ生活のスタートかもしれません。親からラジオを買ってもらい、夜な夜な聴いていたのが「吉田照美のてるてるワイド」でした。その頃には、学校で文化放送派(てるてるワイド)、ニッポン放送派(ヤンパラ)、TBSラジオ派(ちょっと弱かった)、FM派の派閥ができたものでした。(

BAY-FM開局

1989年に地元千葉発信のbayfmが開局。キャンひとみ、バッキー木場、帆足由美、門脇知子。。。とにかくキラキラしていた時代です。

やっぱりTBS

TBSラジオの黄金時代はすごかった。永六輔、コサキン、宮川賢、小沢正一、外山恵理。。。家でも移動中も聴いてました。その時に活躍したのが、TalkMasterという端末です。予約録音できるすぐれものでした。

TBSラジオから世界へ

TBSラジオから人気パーソナリティ、番組がなくなっていきました。現在は「安住伸一郎の日曜天国」「芹ゆう子 お気づきかしら」「Music Pick up 80’s&90’s」「加藤裕介の横浜ポップJ」などなど。TBSに限らず気に入った番組をズラズラと。時間が足りないくらい。radikoが出てきてからいつでも聴くことができ生活が一変しました。

昭和アイドル

推し活ではないのですが

いまでも80年代に活躍していたアイドルがテレビ、ラジオ、Youtubeで活躍してくれて嬉しいです。今も昔も大勢のアイドルグループは苦手ですが、毎週火曜日にラジオ出演されている新田恵利。話題の引き出しが多いのと、割と毒を吐くところに波長があいます。

同世代

1970年生まれ、同学年は特に頑張ってますね。背中を押してくれている感じがします。西村知美、永作博美、和久井映見、島田奈美。。。などなど。特に生年月日がまったく同じなのが坂井真紀。いい女優さんです。

コンサート

今でも、今だから コンサートがチョコチョコやてますね。たまにチケットを予約します。南野陽子、斉藤由貴、田原俊彦、松田聖子、原田知世。。。他にも行きたいコンサートがあるのですが、そこそこチケット代がしますので、簡単には行くことができません。

お笑い

ネタ芸人

ちゃんとネタを見せてくれる芸人さんが好きです。TVと舞台とは、全然違うのでしょうが、肛門みえても。じゃなくて、こうみえても、ライブにも行きます。地方のお笑いライブだと同じネタばかりする芸人さんがいます。まぁ、分かりやすいところを持ってきてるんでしょうけど、、せっかくお金を払って観にいってるんですから。特に、インスタントジョンソンとモグライダーは、毎回同じです。

浅井企画

関根勤が座長を勤めるカンコンキンシアターは、数十年観劇してました。お笑いの世界もチケット代高騰でなかなか行けなくなりました。ただ、今年はその浅井企画のイワイガワの井川氏が企画したライブ(「ちょっと昭和なヤングたち」)が100度目の公演となり約20組。堪能してきました。

マナカナ

野球

小学校2年生

1つの小学校で2つの少年野球チームがあった時代。同じ社宅の友達が多くいるチームに入団。当時は足も遅く、背も低く。ライトで8番が指定席。5年生くらいからちょっと上手なる。左利きがストロングポジションということに気づくことになりました。

プロ野球

父親が国鉄だったのでヤクルトが贔屓なチーム。そして大学が御茶ノ水で東京ドームに近かったので、そこから日本ハムファイターズファンに。当時の日本ハムのファンクラブは入会金3000円くらいで、チケットを10枚くれました。アルバイトのない日は東京ドームやマリンスタジアムに足繫く通っていました。

そして鎌ケ谷に

私が誘致したわけではないのですが、鎌ケ谷に日本ハムの2軍の球場ができました。当時は人気もショボショボで市内では私が1番熱狂していたかもしれません。球団に出入りして来場者向けの新聞を作っていました。会社には仮病を使って平日も野球を観ては、選手に取材。そんな日が10年近く続きました。

バドミントン

中学でスタート

中学校には野球部がないので、何をするか考えてました。サッカーやバスケットボールは、小学校から始めてる人には勝てそうにないと思い、競争力の少ないことからバドミントン部に入部。中学時代は都大会レベル。高校では同期に経験者がいないこともあり、伸びませんでした。

地元のクラブ

大学、社会人では、地元クラブでバドミントンを続け、市民大会で少し勝てる程度で楽しんでいました。

ヨット

大学デビュー

大学に入学し隣の席の田中君とサークルの勧誘を受けました。それが、サークルではなく体育会のヨット部とは。オリンピックの種目でもある470級という2人乗りの船です。夏休みに入ると千葉県館山市で合宿生活がスタート。田中君は早々に退部してしまいました。夏は館山、春と秋は神奈川県逗子の森戸海岸。年間4ヶ月くらいは合宿生活でした。

部活引退後

ヨット部の先輩に誘われて夢の島のヨットクラブに参加しました。若手クルーは力仕事要員です。クルージングにレースに毎週船に乗っていましたが、30歳くらいになり体力的理由で戦力外。海との生活とはさよならしました。

テニス

40の手習い

友人からのお誘いでテニスをする機会がありました。バドミントンをやっていたおかげで、ラケットには当たり。でもテニスの動きは別物です。基礎から学ぼうとテニススクールに入りました。40歳で初級者コースから。

上手い人は

どのスポーツも同じだと思いますが、中高で部活でやっていた人のレベルは違います。こちらは週に1度のスクール。少しづつレベルも上がっていき小さな大会にも出てました。コロナ渦でスクールは辞めましたが、月に1度はお誘いが来るので汗を流しにいきます。

自己紹介(学歴・職歴)は、自己紹介

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